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25.「辻が花」?そして私は?

これは「辻が花」ですか??

僕がこの世界に入って耳にタコが出来るほどお客様からご質問や投げかけがあるコトバです。

私、あるいは父の作品をお見かけになられた方の第一声はほぼそうなります。

 

はい、そうです!幻の辻が花ロマンを求めて…とは言えないワタクシ。

いわゆる辻が花風ではありますね、と流すことしばし。そうです、私は辻が花をテーマにした現代の染色作家ではありません。

そう言いきってしまうと誤解を招くかもしれませんが「辻が花」を研究する者としてはその人気はもちろんながら把握しておりますし呉服市場として根強い人気がある辻が花調の柄、作品の人気を覆すつもりはありません。

 

何が言いたいかと申しますと、僕はシンプルに「くくり」にこだわっている絞りの現代染色作家であるということ。

そして本来のコトバの意味を知っていただきたいと言うこの二つに限ります。

 

辻が花(つじがはな)という言葉自体は室町時代から存在したものの染色技法の名称としての「辻が花」は今日とでは意味合いが異なりました。

 

当時「つじがはな」と呼ばれていたのは麻の帷子の類、つまり公家の女性や元服前の男子が着用する「帷子」夏の単仕立のキモノを指し、赤色がその特色だったとのこと。

 

「辻が花」が絞りの製品を指すようになったのは明治時代以降と考えられてます。

 

安土桃山から江戸時代にかけての小袖などの衣類全般には主に縫い締めや竹皮絞りなどの高度な技法が使用され多色染め分けによる高度な染め技法に加え引箔や刺繍など豪華絢爛たる文化を演出したものの短期間に隆盛して姿を消したことから「幻の染物」とも称されたことは様々な研究がなされていますのでご周知のとおり。それらは辻が花と呼ばれていた訳ではありませんが「辻が花」を「縫い締め絞り」であると主張しはじめたのは、京都の古美術商で染織コレクターでもあった野村正治郎氏だそうです。

 

このブログを綴るにあたり

 

「辻が花」の研究〜「ことば」と技法をめぐる形態資料科学的研究〜】の論文を書かれていらっしゃる小山弓弦葉先生の著述がとてもわかり易く参考にさせていただきました。

 

とても重要な視点だと思います。

 

以下、長文になりますが小山弓弦葉先生の論文より引用させていただきます。

 

『近代以降、中世の縫い締め絞り模様裂が「辻が花」と称され「幻の染」として神話化されていった文化の構造には、実は、明治期以降に誕生した美術史学とは異なる流れの中で形成されていった、風俗史研究を下地とする染織史研究があった。「縫い締め絞り」=「辻が花」という概念は、近代以降、風俗史研究家や古裂のコレクターたちの中で定着するが、その前代的な染織史研究を無批判に受け入れた戦後の染織史研究の姿勢によってさらに拡大解釈されて、中世の縫い締め絞りであればいずれも辻が花であると定義された。その定義は国の文化財保護事業に受け入れられ、染織史研究者による展覧会や出版といった活動を通して、呉服業界や現代染色作家にまで波及し、一般の人々の関心をも捉えたのである。「辻が花」の「神話化」は、まさに、同時代の文化活動や呉服産業と関わりながらその存在意義を維持してきた染織史研究の中でなされたといえるだろう。しかし、中世には全く別の意味を持つ帷子として存在していた「辻が花」の本来の姿に目を背け、近代以降の通説を踏襲し続けることは、染織史研究の進展を阻む大きな後退ともいえよう。中世から現代における「辻が花」の語義の変遷を踏まえた上で、改めて中世の縫い締め絞りの価値を問い直す。その一方で、中世の帷子として機能していた本来の「辻が花(染)」の姿と向き合った時に、呉服業界とは一線を画した染織史研究の新たな方向性が示されるのである。』


 

結論。

 

現代の「辻が花」は中世の古裂ではなく近現代の作家が制作する絞り風の着物。

 

僕は現代の辻が花調を追求しておりません、しかし独自の絞りの世界を探究しております。

 

歴史にロマンを求めるなら天平の三纈(さんけち)の纐纈(こうけち)、あるいは縄文土器にあるような縄目の紋様から染織文化を掘り下げたいと思うのです。

 

今後、ワタクシの作品というよりも市場の商品としての視点から「現代辻が花」をつくるかもしれませんが悪しからず(^ ^)